My 誕生日のごあいさ by 小川利久

ごあいさつ

おかげさまで60歳になりました。

これまで出会った全ての人に感謝しつつ
生まれた時代・1957年(昭和32年)を振り返ってみます。

前年の経済白書に結語された「もはや戦後ではない」という言葉が流行語となりました。

世界でも、洋画興業の第一位は第二次大戦を背景に戦争の愚かさと人間の尊厳を描き出した不朽の名作「戦場にかける橋」です。

 

日本の生活文化も変わっていきました。
ロカビリーブームでジャズ喫茶がロカビリー喫茶に衣替えし、ジーパンスタイル出現し始めました。

そんな時代は新たなヒーローの誕生を心待ちにしていたようです。
この年の暮れには、立教大学・長嶋茂雄選手の巨人軍入団決まり、ミスタージャイアンツ誕生。

子供を中心として日本人の多くは「強さと生活の安定」に憧れ
堺屋太一の発した「巨人・大鵬・卵焼き」が時代の象徴となっていきました。
「赤胴鈴之助」もこんな時代の申し子でした。

 

島倉千代子さんの『東京だよおっ母さん』がヒットしました。

「金の卵」と言われた出稼ぎ者によって
地方から東京へ人口の移動が起き、新たな街づくりも始まりました。
東京移民族の多くが東京郊外の団地に住み「団地族」を形成していきました。

一方では、映画「楢山節考(深沢七郎)」が時代の闇も教えてくれています。
高度経済成長期に向かい始めた日本人の家族観に対してクライシスコールも起きました。

地球規模で見てみると
日本の南極越冬隊が南極大陸の東オングル島に初上陸し昭和基地を開設しました。
地球は今は温暖化に向かい新たな課題を抱えていますが、当時は極寒地の調査研究から人の生きる術を模索していきました。

 

こんな時代背景の中
私は青森県三沢市で生まれました。
十和田湖町の農家の8人目の末っ子だった父は三沢米軍基地で働き、そこで母と出会いました。

私を自宅で産んでくれた母は産後の状態が悪く、生死をさまよいました。

子供が簡単に生まれ、簡単に育つ時代ではなかったのかもしれません。

今は亡き父の話しによれば、
生まれた直後、赤ん坊の私はかなりの時間放置されたようです。
しかし、私の命より母の命を優先してくれた父と、
命をかけて私を産んで育ててくれた母に感謝しています。
母は80歳を超えました。

だから、私にとって自分の誕生日は両親へ感謝する日です。
ありがとうございます。

 

変化し続ける社会の中、たくさんの人と出会いました。
今年逝った、60歳を超える人生を迎えることができなかった同世代の村上智彦医師、西村元一医師、お二人の生ききり方と遺したものを意識しながら、

「ここから、これから」

皆様とともに新たなエイジングを歩み続ける覚悟です。

 

歩んだ道で出会った皆様
ありがとうございます。

これからも、私のエイジングをサポートいただけますようお願い申し上げます。

小川利久 60歳の誕生日を迎えて

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