生家発見〜現居住者がつないだ歴史
2017/09/04
〔生家発見〜現居住者がつないだ歴史〕
三沢米軍基地でタクシーの運転手として働いていた今は亡き父が
旧十和田湖町にある実家の山の木を刈り出して建てた家。
木は祖父からのプレゼントだったようです。
時は1953(昭和28)年、今から64年前の話しになります。
土台には堅くて水に強い栗の木が使われ、跳ね回ってもビクともしない家〜これは母の記憶
線路沿いで、縁側がある赤い屋根の家〜これは4歳だった私の記憶
驚いたことに2つ歳上の兄の記憶は私の数倍、人の名前もよく覚えていました。
「この辺かな?」
「やはり、もうないね」
「きっと、もう建て直ししているはずだから」
「ここは〇〇さんの家のようだから、この家かな?」
そんな会話をしていると、一人のご婦人が近づいてきました。
ウロウロ探索している私たちの様子に怪訝そうな表情をしています。
「こんにちは、昔この辺に住んでいた者です」と母が挨拶をしました。
するとなんと、なんと
「もしかして、小川さんですか?」と返してきました。
実は私の生家を買い受けて、今も住み続けてくれているご婦人でした。
共通の知り合いから、紹介されて産後すぐに買って住み始めたそうです。
こんな事ってあるんですね。鳥肌がたちました。
大工さんだったというご主人が何度か建増しと改修を繰り返し
縁側はサンルームになり、玄関の位置も変わっていました。
敷地内にあった井戸はとうの昔に水が枯れて撤去済みで跡形もありません。
お家の中にも入れてくれました。
母と話しが盛り上がっていき、記憶との食い違いが解明されていきます。
60年以上も住み続けられている家
屋根裏までチェックしたという大工さんの目利きによって引き継がれた家
「親父って凄いな」、と感心しました。
こうして、私たち家族に奇跡が起きました。
私が知りたかった父と母の歴史、それは私が存在する意味そのものです。
現居住者の営みと情報によってそれを得ることができました。
間に合って良かったと切実に思います。
しかし、母とご婦人の記憶の中に共有されていた近隣さんの多くは既に他界され、
空き家も目立ちます。
まちの中心は移動して、かつての商店街はシャッター通りと化していました。
時代は超高齢社会
そこにある自分史と地元史を自ら綴る
人とまちに必要なエイジング・サポートのための私的経験となりました。